野々市じょんがらの法被作成しました。


はっぴ 御経塚じょんがら保存会  
天竺綿 反応プリント(片面)

平ぐけ帯 138
Mサイズ 身丈 75cm 身巾68cm
Lサイズ 身丈 80cm 身巾68cm 
「野々市じょんから節の由来」とは?

p05211111平安時代の中期、一条天皇の御代に第四代富樫忠頼卿が、加賀の国司として野々市に赴任するや、そのすぐれた仁政は広く民衆の敬慕をうけ、この地に留まる事を熟望し訴願するに及び、勅許を得て永住することになりました。そして平安の都、京都を偲び野々市の近郊に伏見川・高尾山・山科・住吉の里などの地名をつけ、第二の京都を築かんとしたゆかしい心根の程が伺われ、また累代にわたり数多くの寺院を建立して、支那留学の大徳徹通・常済大師・建武中興の勤王僧・明峰大智禅師等の名僧高僧を招き思想の善導と文化の向上に努め、かつまた産業の振興を図るなど加賀の政治・文化・宗教にと残した業績は実に大きなものであります。

このように野々市は中世における加賀文化の発祥地であって、人々は富樫氏の善政と宗教文化の香りの中に極めて安らかな日々を送ったことと察せられます。

武士も、町人も、百姓も、そして御殿女中も階級差別をこえて一つ輪になって富樫氏の徳をたたえつつ祭事を踊り明かしたのが「じょんから節」踊りの起源であります。「じょんから」と云うのは「自安和楽」の転訛であると解され、自ら安じて和やかに楽しむ、この心と姿にこそ私達が大いに学ぶべきであって民主社会育成の今日、富樫仁政を思い、かつたたえるために、この「じょんから節」踊りを永く後世に伝えねばならないと思っております。