お母さん貞さんの、プレ米寿会下見を私とかみさんでしました。

お母さん貞さんの、プレ米寿会下見を私とかみさんでしました。

 一年に一度、お盆に一家集合の季節が巡ってきました。

 今年は、貞お母さんの米寿を2年後に控え、プレ米寿をみんなで企画しました。

 体が少しずつ動かしづらくなった主役が皆んなと楽しめるところがないかと、かみさんが3ヶ月前から県内を色々探し、津幡町勝崎館に決定。

 その歴史は、古く明治22年に遡る。

 それも旅館からでなく初めは鉱泉の温泉場として営業を開始。

 今でも薪で、沸かしていて、冬場は、毎日60センチ長の薪  150個ずつもやしている。

 2800本ぐらいストックした建屋もある。

 お湯に浸かると、体の芯から温まり少し熱めだが、ホッコリする。

 だんだん住宅が周りに建っていくにつれ、湯量が減っていったが、旅館との併設で、何とか営業を続けている。

 旅館に入ると、絵画のチャリティーオークションがあったり、バーのカウンターは、一枚板の長い椅子がありゆったりした時間が過ごせると感じた。

 また、廊下からは庭を望めミニ庭園も屋内にあったりしくつろげる空間が広がっていて、これなら4世代、昭和から、平成生まれまで9名が楽しい時間を過ごせると確信しました。

 勝崎館に決めた理由は、本業であった銭湯から旅館への業種大転換の経緯に、かみさん、私とも興味を持ったことと、その業歴の古さ。 

 弊社も、勝崎さんに遅れること2年後の、明治24年が正式な創業年。

 それから、11代ちかさん、12代初代七九、13代七九、14代七九と続き、私が15代を、継承している。

 家の歴史を紐解くと、いずれの代にも、温故知新で、変えなくてはいけないもの変えなければならないものを、明確に区別して事業を繋いできた。

 そんなことを考えながら、お客様のおもてなし、苦しい時代をどのように乗り切っていったかを、学びに勝崎館を選んだ。

 まずは、こんな思いを抱えながら、貞お母さんにとっては、ひ孫4人、孫2人、その嫁2人、そして、いつも一緒に生活している私達2人と、顔を合わせ食事するのが楽しみにしている。