貧乏新婚旅行の様子。

貧乏新婚旅行の様子。

 そもそも結婚して旅行にヨーロッパを選んだのには訳がある。

 学生時代に、フランス語を授業とは別に学んでいたかみさんが実際に使う機会を作るためにフランス、スイス、イタリア、スペインを巡ることに2人で決めた。

 普通ならパック旅行、せいぜい1週間ぐらいの間なのに、誰が決めたか覚えていないが、約40日間。

 よくそんなお金があったと不思議に思われるかもしれないが、そこは自分達の蓄えを知っていて、全て「地球を歩く」というペーパーバックの本に記載している一泊2名素泊まり1000円ー2000円の範囲。

 最初と、最後に泊まるフランスのホテル🇫🇷だけ決めて出発する。

 その当時でも成田離婚という言葉があったが、よく40日間も全く育ちも違う見ず知らずの2人が一緒に過ごせたと今更ながら驚く❗️

 持ち堪えた理由は簡単。

 役割を結果的に分担していたからだ。

 私は、荷物を運ぶ役目、かみさんはその日宿泊する場所を決めたり、次の日の日程をあれこれ吟味して選定する。

 この方法は波風を立てないのには最適だが、私は今どこにいるかもあまり分からずかみさんの言うがままに、付いて行った。

 ある日、ベルサイユ宮殿に行こうと急に決まり、地下鉄の駅まで行き電車に飛び乗るかみさん。

 私の目の前でドアが閉まってしまう。

 右も左もわからない私。その上、周りの人に英語で、どの電車に乗れば後追い出来るか聞いても要領を得ない。

 荷物を肩にかけ、適当な電車に乗り込みなんとかベルサイユ宮殿を、見学した。

 しかし、帰り道も分からず。

 これも、最初に乗った駅に何とか帰り着いた。そこからどのように泊まっていた2000円もしないホテルに戻ったが、かみさんはまだ帰っていない。今のように携帯もなく、連絡の取りようがないので、通り道の映画館で広告していた「エレファントマン」という映画を見て時間を過ごし、ホテルに戻ると、何にも無かったかのようなかみさんの姿がある。

 スペインでは夜、私が熱を出し、いつ覚えたか知らないが、かみさんの、たどたどしいスペイン語で、薬を手に入れ何とか治って事なきを得た。

追記:これだけ長い間、旅行に行っていても、私はあまりにも荷物に神経を集中していたので、どこへいったか?何を食べたか?果ては誰と行ったかも覚えていなく、かみさんから呆れ果てられています❗️

先代の新婚旅行

 

(先代七九と初々しいお母さん貞の、那智滝前で)