富山とのご縁(遠く立山連峰を望む)

 

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富山とのいえば、私の中では、富山のおじさんを、思い浮かべる。

 尊敬する海軍のおじさんの腹違いの弟。
 いつも、ニコニコした表情しか思い出せない。
 レントゲン検査技師として、働いていて、いつだったか頭から血が出るくらいの怪我をして、診てもらったことがある。
 そんな親戚のいる富山に、村松家に婿養子として入り村松商事で働くことになる。
 先代の、地元金沢では甘えてしまうからとの考えで、富山支店に預けたのだと思う。
 はじめは、電車で富山まで通っていた。

 時々、仕入れ先などと飲む機会があった。

 

 終電近い電車に乗り込み、金沢の一つ前の駅の名前がアナウンスされるのを聞いた途端に、眠ってしまった。

 

 結局、米原まで行ってしまい、そのまま、折り返して家に帰らず、富山まで出勤したこともある。

 

 

 そんなこともあり、途中から、社用車通勤が始まる。

 今のようにナビをつけていなく、方向音痴の私は、会社に着くだけで一仕事した感覚。 
 仕事も慣れるうちに、お客さんと親しくおつきあいさせていただいた。

 お家に上がらせていただき、2-3時間いろいろな話を伺うようになった。

特に、Sさんには、旦那さんにも親しくさせていただく。

 伊賀出身で、戦時中、中学生で、空襲の中、死体の山などの悲惨な光景を目の当たりにした。

 そのような体験をすると、最初は心痛むが、段々麻痺して、なんとも思わないようになった。

 そこでわかったことは、外からは、幸せのど真ん中に見える人、家庭でも、思わないような悩み、苦しみを抱えていることがある。

 そんな富山勤務が十数年続いて金沢主体の過ごし方に変わったが、富山に時々行くとやはりホームグラウンドみたいにホッとした時間が過ごせる。