ポンペイの遺跡のパンのレシピをみつけました
雨の日は家にじっとしているに限りますね。
家にいてポンペイのパンを再現してみるのも面白いかもしれませんね。
京都のポンペイ展にいき、いろいろ見てきた中にポンペイの遺跡のパンがありました。八等分する丸いパンで、直径20cm位のものです。炭化して真っ黒でした。耐熱のレンガの窯に入っていたので、火砕流から守られて残ったらしいです。母も先日うっかりトースターの中で真っ黒になったパンのことを覚えていて、うちのパンも真っ黒だといっていました。
500gのスペルト小麦粉
350mlの水
塩少々
オリーブオイル大匙1 と1/2
手とボウルをよくあらう。オーブンを180℃に予熱する。大きなボウルに小麦粉に少量の塩を加え、まぜてオリーブオイルを注ぐ。 徐々に水を加えてよく練る。それをロールアウトし生地をこねて円形にする。それを8に分割するナイフで生地の上に印をつける。オーブンで土器の蓋の下で45分焼く。酵母を使用してないのでパンは上昇しません。カトーによる紀元前160年に書かれたDe Agri Cultura(農業についてと訳するのかな)と呼ばれる農業ハンドブックによる簡単なレシピです。
別のレシピ
ドライイースト小さじ2)
水600ml(ぬるま湯)
全粒粉250g
白粉250g
塩小さじ1(水大匙1に溶解)
同様に粉に少しずつ水と塩水を入れ良く練る。 弾力のある生地になるまでこねる。生地をトレイに置き、乾燥させずラップでおおう。トレイを暖かいところにおき、1時間くらいふくらます。パンのおおきさが2倍くらいになったら220℃にあたためたオーブンに20-25分入れ皮がキツネ色になるまで焼く。これは古代ローマのパン職人やローマ軍の兵士が使っていたであろうレシピです。戦地でもパンを焼く余裕があったんでしょうか?焼いたパンをもっていったんでしょうか?酵母はどうして調達したのでしょうか?

村松商事株式会社 女将の範子です。
村松商事株式会社
https://hatanomuramatsu.com/
よろしくお願いします。
昔は金沢一ハイカラだった尾張町生まれの尾張町そだちです。
三人姉妹の長女としてうまれ、家も会社も継ぐ宿命に。
自由がいいなあと他を羨ましがっても仕方ないので思い切り空想の世界をワープすること数十年。
家を継がないで高飛びして外国に行きたいと思い、フランス語を必死で学ぶも芽がでず、今日に至る。
少しだけ人助けができたかなとは思います。
国際交流のお手伝いをして皆が平和になりますようにと一貫して昔から思っていました。
きっかけは1964年の東京オリンピックです。
6歳くらいのころオリンピック行きの切符が商店街のくじであたり、母といくことになりました。
初めて行く東京で初めていろんな国の人を見て驚きました。
言葉が通じないけれど世界中の人とお友達になりたい気持ちでいっぱいでした。
言いたいことがいっぱいあるのに言葉がわからないもどかしさをとても強くかんじました。
そして、陸上の黒人の選手が最後に走っているのを観客皆が拍手で送ったのをはっきり覚えていました。
言葉や肌の色などの違いを超えて皆、心は同じだと感動しました。
このことを高校の英語のスピーチコンテストで発表しました。
https://hatanomuramatsu.com/archives/1274
それ以来、ずっとたって自宅で国際理解の会を開きました。
月に1回料理を持ち寄って外国に行ったことのある人にお話しを聞いたりする会です。
外国人をお招きしたりもしました。
国際結婚をした女性も小さいお子さんをつれて来て、幼稚園のようなときもありました。
モロッコ人の友達が困ったときにはアイスランド人やインド人、フランス人、フィリピン人の友達を招集してみんなで困りごとの糸口をみつけだしました。
おばあさんになったら世界中の友達のところに旅行できるねと皆で楽しいことも考えました。
モロッコ人の友人は深刻なときもありましたが、いまでは再婚して幸せに暮らしているので、外国語を使って人助けができてよかったと思います。
多様性の中で育った子供たちは皆世界に羽ばたいてほしいものです。
スポーツの国際大会とかのボランティアにも機会あれば参加し、大阪の世界陸上には次男が関西の大学に受かったので、はっぱかける意味でボランティアに応募したら、彼は説明会の段階でやめてしまって私だけが参加しました。
アフリカの選手たちと交流できて貴重な経験でした。
世界少年野球大会では、今でこそハラルフードをイスラムの方に提供しますが、当時は特別にハラルフードをださなかったのでイスラムの人には食べるものがあまりありませんでした。
反乱がおこりました。矛先は私にきました。
たしか、チュニジアは昔カルタゴと言っていたと思い起しました。
そこで、名案!カルタゴの子孫であるあなたたちは勇敢にもローマに勝ったんですね!といったら急に誇らしげな態度にかわりました。
カルタゴがポエニ戦争でローマに勝ったことをおもいだしました。
そして、騒ぎが少しおさまり、私はチュニジアのメンバーからバイニージャという名前を賜り、まるでヒロインのように扱わられました。
軍人上がりの引率者は チュニジアでは私書箱を持っているんだと誇らしげでした。
スポーツの担当は富国強兵の流れで軍に関係あるのです。そして、子供たちは、この寮にいるからチュニジアにきたらぜひ来てくださいといいました。
古代ローマに関心があるため救われた例です。
古代から現代、やはりつながっているんですね。
今は古代ローマのことをとことん知り尽くそうと思っています。
ポンペイ展、企画のちがうもの3回みました。幸い偉い先生方が多くの本を書いていらっしゃるので資料に困ることはありません。
いろんな視点からローマを見ると面白いです。