カメと亀?とおちゃんと、貞お母さんの動きから思う。

 

 95歳になるとおちゃん、坂井昭保。一年前の写真でも、歩くのに時間がかかった。本人もこれまでなんの不自由なく歩けていたのが徐々にゆっくりしか進めなくなり歯がゆい思いをしているとそばにいて感じる。

 「歳とるとだっちゃんな❗️」と情けなさそうに呟く。そんな言葉を聞いて、(そりゃそうや。もっと早く歩けた方が良い。だけど、誰でも年を重ねると仕方ない。自分も、日常生活で少しずつ、出来ないことが出てきている。むしろ90歳をすぎるまで、生きているなんてなかなかできることではない。)と思う。

 今のとおちゃんは、田舎に寄るたびに自分の部屋で、これまで見たことのない本を寝ながら読んでいることが多い。

 読書が最も身体に負担の少ない過ごし方で、また、これまであくせく働いてきて出来なかったことだから、本を周りに積み上げ読んでいる。特に仏教の本が多い。

 私が年をとり、こんなに知的な刺激を求める過ごし方ができるかと自問すると、出来ないことを嘆いてばかりいるような気がする。

 まんざら、カメのような生活でも、したい事はコツコツと出来、新たな楽しみを見つけることができるものだ。

 貞お母さんは、とおちゃより10歳近く若い?のだが、同様に歩くのが杖なしでは難しい。両脇を、私とかみさんが抱えてそろりソロリと前に進む。

 しかし、知的な好奇心は筋金入り。

 もともと中西進先生主催の万葉集を学ぶ会に参加したりしていた。

 テーブルの上には、古事記、日本書紀、万葉集の文庫本がある。

 時に色々質問すると漠然としているがちゃんと答えてくれる。

 芭蕉の奥の細道のなぞり書き帖にも挑戦している。

 貞おかあさんでいつも感心することがある。

 それは、何気ない手伝いをすると即座に「ありがとうね」と言ってもらえる。こちらもホンワカ嬉しくなり快くなんでも世話することができる。まるで年寄りの鏡。 

 とおちゃんも、貞お母さんも、私の将来の歳を重ねた時の目標だ。(814文字)