人生で一番私にとって悲しかった日

(いつもお参りする仏壇。中央は、日蓮上人)

(247.118.23573)

昭和61年2月25日❗️

あの日は、富山に出かけていた。

かみさんは、臨月に差し掛かったにもかかわらず、最初の赤ちゃんが産まれ出る👶気配なし。

まあ、今日も変化なく1日が終わるのやろと思っていた。

そんな時、先代 七九(しちく とよぶ)

から、いつになく慌てた声で「今、範子が入院した。赤ちゃんの🤱心臓の音が聞こえん。範子も危ない❗️」とのこと。

 エッ❗️今朝出る時は、ケロっと、普通やったのに?

 砺波で、その電話を受け、今思えばなんでそうしたかわからないが、高速道路に乗り換え急いで金沢まで帰って来た。

 下道(したみち)、一般道の方が時間が短かったかもしれないのに。

 気が動転していた。

不幸中の幸い、母親🤱範子の命だけは取り留めたが、赤ちゃんは旅立ってしまった。

 (もし、母子とも亡くなっていたら、今、私はどこで、どんな生活していたか?)

 生まれる前から名前は、真秀子(まほこ)と決めていた。
 
 法名は、真秀水子(しんしゅうすいし)

いまでは、毎日朝晩、仏壇にお参りして幻の長女と、先代に、話しかけている。

(上が、真秀子、下が、先代。いつも、明治初頭からの直系の先祖の法名を順に唱える)

 特に、亡くした子の歳を数えるな というが、全く逆で、思わず知らず(今生きていたらどう成長したかなー?
女の子やし、とっくに嫁いで、どんな家庭を、築いていたかなー?)

などと詮ない考えを巡らすこともある。

今、生きていたら36歳。 

 私の持論で、会いたいと思ったは、必ず会える。今まで、会いたかったが、会えなかったのは、海軍のおじさん坂井伊三郎と、並び尊敬する本田宗一郎だけ。

 ただ、長女とは、会えたが、話が出来なかった。
 たわいのない話でもしてみたかった。

 亡くなって、半世紀近く経って自分なりに親より先に黄泉に、たびだったか、納得できる理由を考えた。

 多分その頃、私たち夫婦は諍いばかりしていたので、会いたくなかったのだと。
 
 悲しいかな、💔それを知らせるために、自分の命を捧げた娘、だと。

 また、今後半世紀以上経って、会える日を楽しみにしている。

(854文字)

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