私が日常で生きている実感する事、また、他からの影響で変えた事。

 (写真は、家族集合写真ですが、冬場なので帽子を被っている。)

よく言われる事だか、歳をとるにつれ時の経つのが早くなると。

 確かにそうかもしれないが、私はちょっと違う捉え方をしている。

 毎日、時間の感覚よりも、必ず本能的に(あっ、今生きているかも)と、思えることを増やしている。

 例えば、髭剃り🪒でも、これまでは、毎朝出かける前にするだけだったが、最近は寝る前に電気カミソリで撫でている。 

 それは、朝起きて指先で顎の辺りを撫でてほんの少し指に触る髭を感じ、(ほんの数時間で髭がちょっと伸びた、あー生きとるんや)と思う。単純極まりないが、本当に嬉しく感じる時だ。

 その時と相前後して、うがいをする。

 その方法も、ここ数ヶ月変えた。

 誰かから、うがいひとつでも、心を込めてすることが大事だと教えてもらいその朝から、上を向いてゴロゴロする時間を息の続く限り伸ばしてするようにしている。

 あまりに味気ないので近頃は好きな歌を口づさみながら、いや、ノドづさ見ながらうがいをしている。大体1分近い間できるようになり、1日の始まりにメリハリがつく感じになる。

 髪は長ーい友達、というキャッチコピー  で、髪の毛を労わるコマーシャルがあったが、若い頃からひとつ将来への不安があった。

 それは、仕草、性格がとおちゃん坂井昭保と似ていると周りから言われていた。まー、親子だから仕方がないが、若くして髪の毛が友達から外れたとおちゃんのように禿げ上がるのでないかとの不安。

 幸いなんとか私の髪の毛は、しがみついていてくれているが、いつなんどき、別れることになるかわかったものでない。

 そこで、朝夕、ブラシを入れ七三に髪をととのえている。

 これは危機感からだけでなく、親友の別川が、頭皮の中に髪の毛がしがみついている状態なのに、当時上場企業の社長という立場からか、車に乗るたびに櫛ですいていた。

 この時、「いつもそうしとるんか?」と聞くと、うなづく。

 それ以来、フサフサの私は、髪を労わるためと、まだ残っている髪にお礼の気持ちも込め、毎日2回手入れしている。

 その他、外から帰って来た時、食事の前に手を洗い始めたのは髪さんからやかましく「手を洗った?」とその都度いわれるので始めた習慣だ。

 このようによく考えると、私の日常は他人から受けた行動が、あちこち見られる。