小さい時に通った日曜学校と、今とおちゃんがはまっている歎異抄!

 

 先日日曜日、田舎に帰ると待っていた様にとおちゃんから呼ばれた。

 4人の子供に、それぞれ本を送り歎異抄を味わってもらいたいらしい。

 歎異抄そのものでなく解説書であるが、何ととおちゃんは10回以上読んだとのこと。

 私たち4人兄弟姉妹は浄土真宗東本願寺派、二俣の本泉寺で、毎日曜日8時から始まる日曜学校に出席していた。(何故だかあんちゃんだけはあまり行っていない様に思い出す。)私は、出席するとたまにお菓子が振る舞われるのが楽しみでいた。正信偈をみんなで唱えゴギサンのお話を聞いて家に帰る。お寺で日曜学校に出ている間にテレビで放映されている番組が気になり、上の空のこともあった。親鸞聖人や、お寺(本泉寺)

ゆかりの蓮如聖人の話も時々話されたが、こちらはちんぷんかんぷん。

 分からないなりに、耳にしたことで、何か心の底にしまっておくことが必要だと漠然と思っていた。

 成人してから宗教特に小さい時に接していた浄土真宗のことを意識することもあまりなくなったが、たまたま、旅行などでお寺を訪れた時などは、知らずのうちに本泉寺と比較している場合がある。

 最近になって、田舎に帰るととおちゃんの枕元にうずたかく本が積んである。本当に、現役で小学校の先生をしている時は本を読んでいる姿を見たことがない。それもそのはず、学校から帰るとすぐに田んぼや 山に仕事に行き、帰ると疲れてすぐに眠りについた。

 そのとおちゃんが、お経本(

正信偈)に、解説のメモを書き込んでいたりしていてびっくり。また、古典、枕草子、方丈記などを、大きな文字で印刷した本を手当たり次第よんでいた。理由を尋ねると、「今まで全く読書と縁がなかったが、少し落ち着いたので外で仕事ができなくなったので、家の中で本を読んどるんや」との事。

 私ももう少し年を重ねてゆっくりできたらとおちゃんの様に、心に肥やしをやることができるか自信がない。

 老いては子に従えの逆で、年取ると、親に従えです。