太田さんに初めて銀座に連れて行ってもらい大事な試験を寝過ごした顛末!

 

 東京で晴れて大学生になり、入学した理系から2年生後期に、進学の進路を決める際、大胆にも文系に転部した。田舎の両親、兄弟姉妹は全て私の今までの得意な学科を知っているので不安から反対した。

 当事者の私は、歴史など文系の勉強はとんとしていなかったが(何とかなる!やっていなかったから全て授業が新鮮。)しかし、進学できた教養学科アジアの文化と社会科の同級生との学力の差は歴然としている。彼から常識のことでも私には全て初めて知ること。

 2年生から3年に進級する際の最低取得単位が後1単位と決まって翌日そのドイツ語の試験がある夜。 

 いつもに無く真夜中近くまで机に向かっていたら、太田さんが部屋のドアを叩き「今夜は輪島功一が蛙飛びで勝った!飲みに行こう❗️」と誘われた。二十歳は過ぎていたがさすが翌日大事な進級できるかがかかっている試験があるので少し迷ったが羽振りのいい太田さんが飲みに連れて行ってくれるのがありがたかった。

 タクシーで銀座まで繰り出した。後から思い出すと、下駄履きの私をよく嗜めなかったと不思議に感じる。しこたま慣れないウィスキーなどをいただきいつ下宿に戻ったかも覚えていない。

 翌朝目が覚めると12時正午過ぎ。進級できるかの大切なドイツ語の試験は午前10時から!

 真っ青になりとにかく大学に向かいなんとかならないか頭を働かす。お酒くさい息を吐きながら、学生から終わったばかりの答案用紙を採点中の教官室に入らせてもらい、正直に昨夜からの私の行動をありのまま話して、是非試験だけでも受けさせてもらえないか必死に懇願した。その気持ちが伝わったのか、「もちろん優は、つけられないが今からいくつか質問するから答えてください」という教官の声がすくいの神様からのもののように聞こえた。

 教官からもし相手にしてもらえなかったら後一年留年しなければならないのを救っていただいた。