東京のおばさん(坂井キク)

坂井キクさん、我が人生の中で、この方ほど、お世話になった人はいない。
 あんちゃんが、東京で学生生活を送り始める頃から、ポツポツ坂井その名前が、とおちゃん、母ちゃんの会話の中から、出てくるようになる。
 それも、いろいろおばさんからいただいた恩があるというニュアンスのものだ。
 その頃は会ってもいないので、自分でどんなこわい人かなと、想像が膨らむ。
 ただ、おばさんの子供、つまりとおちゃんの従兄弟にあたる方々は、以前ブログにも載せた、努力の碑建立を機に、ちょくちょく東京から私の故郷、二俣にやってくるようになる。
 東京から、おばさんの子孫が、くるたびに都会の雰囲気が一時的に家の中に漂う。もちろん田舎なので特別美味いものは無いが、どんな普段の食事を出しても、懐かしがって、食べてもらっていた。
 そのうち、私が大学受験に失敗して、東京で生活をするようになってから、ちょくちょく、キクおばさんの家を、訪ねるようになる。
 訪ねると言っても実際は、ご飯を食べさせてもらいに行っていた。
 それでも、嫌な顔ひとつせず、「あつし、まーここに座れま!」と、4畳ぐらいの居間のコタツにすわり、タバコを燻らせながら手招きしてくれた。
 座る間も無く、世界情勢、政治経済どんな分野のことでも、私がどんなふうに考えているか尋ねてくる。
 新聞の隅々にまで普段から目を通していて、昔の、共立女子大学 第一期生である経歴から、教養が滲み出ているキクさんだった。
 かと言って、近づき難いということは全くなく、時には、慣れない金沢弁で喋ってくる時もあった。
 トイレのことをいつも「ハバカリ」と言っていて、なんか、上流階級はこんな言葉を使うのかなと、かすかに感心して聞いていた。
 その頃おばさんの子供5人も全て独立して離れて生活していたので一人、アパート経営をしながらその一階にすんで、慎ましい生活をしていた。
 私の兄弟姉妹4人は、なんらかの形で、おばさんにお世話になり、影響を受けたことは間違いない。
 後年、東京から長男の住む茨城県に移り同居する様になる。
 一度、100歳近くになり、老人ホームで生活するようになった時、とおちゃん、母ちゃん、兄弟姉妹6人全員で尋ねたことがあった。
 お見舞いの気持ちで部屋に入り、四方山話をして、帰ろうとすると、おばさんから「皆んな体を大事にするのや!」と、気遣いの言葉をかけてもらい、いついつまでも、心を寄せてもらっていることを痛感した。

 104歳で天寿を全うし、30歳で死別した、夫、坂井伊三郎さん(努力の碑の主人公)と、久しぶりの水入らずの生活をあの世で送っていることと思う。

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