メガネに対する憧れと、かけてからの日常が劇的に変わりました!

 生まれ育ったのが、二俣町という山に囲まれたところだったので、小さい頃は、視力は良かった。
 視力検査で、問題がある同級生がいても、何故かメガネ🥸を、かけている生徒は、小中学校9年間を通じていなかった。
 ただ、視力を回復させる訓練が通っていた医王山小中学校ではあった。
 校庭から400-500m離れた向かいの山の中腹に、視力検査で使われる円の一部が欠けている大きなパネルが設置してあり、それをじっと見つめて、はっきり見えるまで見るという事。
 今思えば、子供に近い所ばかり見る、例えば長い時間テレビにかじりついて📺見るのが、目に良くないから、緑の山並みの、遠くを見なさいと言っても、どこをじっと見ればいいのか生徒には理解できないから、目標物の設置に踏み切ったのだと思う。
 誰が考えたのがグッドアイデアで、クスッと笑みがこぼれる。
 同級生(1学年1クラス24-5人)の一人T君は、体が大きいが視力はあまり良くなくそのため先生が見やすいように最前列に席替えさせた。 
 ところが皆からブーイング。
後ろの生徒は、T君のせいで黒板が見づらいと先生に直訴。
 結局、元の後ろの方の席にT君は戻された。かわいそうだと思いよく観察すると、昼間から授業中に欠伸を🥱する。先生にも注意される。
 何か訳があるのだろうとそのわけを聞いてびっくり。「欠伸をして、涙が少し出ると、一時的に焦点が合い黒板の字が見えるようになるんや❗️」
 よく考え出した一瞬メガネ。
 中学になる頃には、金沢市内の高校に通っていたあんちゃんが、メガネをかけるようになる。
 それを見て、なんとなく賢そうに見え私もかけてみたいと思うようになる。しかし、一向に視力低下はせずメガネに縁がなかった。
 中学3年の冬、両親の計らいで、東京で勉強漬けの冬季講習から、帰ってから周りが見ずらいと思うようになる。
 たった、2週間、姿勢が悪かったのか、机の上の明るさが足らなかったのかわからない。
 視力検査でも、急に視力が落ちたことがわかった。
 高校に入学しても授業中はメガネをかけたが、終わると外した。
 さすが社会人になると常時かけるようになるが、初めは黒縁のを使っていたが、先輩から「チョット仕事するときは、お客さんから
とっつきにくいとの印象を与える」と言われ銀縁に変える。
 そのとき以来、メガネは、体の一部のような存在。
 昨年末思い切り、白内障の手術で、多焦点レンズを両目に入れてからも、朝起きてから寝ぼけ気分で、眼鏡を探すことがある。
メガネがなくなり遠近両方はっきり見えるので、女の人がこれまで、すべて美しく見えたのに甲乙はっきりと判断でき感情の起伏が激しくなりました。
この点は私は、残念に思います。