サティーに癒されて
休日は天気も悪く、じっと家にいました。そうだ、サティを聞こうと思い、ずっとCDをかけていました。
図書館でCDを探して聞こうとおもいましたが、あまりにも雨が強く家にいることにしました。ちょうどサティのCDが身近にあり、きくことになりました。
いつも弾いている曲をプロがどうひくか再度確認したかったのと、まだ弾いてない曲のいつか弾くときのための予習のためです。
ゆっくりと弾く曲はだいたい解釈はいい線いっていました。プロはもっとさらっとひいていました。私は感情を入れすぎかもしれません。新井満がなくなったら流してほしいといった曲は小
鳥がさえずっているようで、とても明るく軽やかでした。私のタッチはもっと軽くしたいです。その新井満はもう鬼籍にはいられました。
ずっと前、金沢の21世紀美術館でサティの演奏がありました。この時の一柳氏の演奏を私の解釈とどう違うかドキドキしながらききました。ほぼ私の解釈と似通っていたのでほっとしました。彼も鬼籍にはいられました。なんだか澄み切ったかなしい音が感じられます。
サティは左上の言葉を残していました。”ピアノは、小切手のようなものでそれを触れた人だけに喜びを与える”
ピアノを触れることができる喜びを改めて感じました。サティを聞きながら、サティを弾きながら癒されていく自分をかんじました。
村松商事株式会社 女将の範子です。
村松商事株式会社
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よろしくお願いします。
昔は金沢一ハイカラだった尾張町生まれの尾張町そだちです。
三人姉妹の長女としてうまれ、家も会社も継ぐ宿命に。
自由がいいなあと他を羨ましがっても仕方ないので思い切り空想の世界をワープすること数十年。
家を継がないで高飛びして外国に行きたいと思い、フランス語を必死で学ぶも芽がでず、今日に至る。
少しだけ人助けができたかなとは思います。
国際交流のお手伝いをして皆が平和になりますようにと一貫して昔から思っていました。
きっかけは1964年の東京オリンピックです。
6歳くらいのころオリンピック行きの切符が商店街のくじであたり、母といくことになりました。
初めて行く東京で初めていろんな国の人を見て驚きました。
言葉が通じないけれど世界中の人とお友達になりたい気持ちでいっぱいでした。
言いたいことがいっぱいあるのに言葉がわからないもどかしさをとても強くかんじました。
そして、陸上の黒人の選手が最後に走っているのを観客皆が拍手で送ったのをはっきり覚えていました。
言葉や肌の色などの違いを超えて皆、心は同じだと感動しました。
このことを高校の英語のスピーチコンテストで発表しました。