サティーに癒されて

休日は天気も悪く、じっと家にいました。そうだ、サティを聞こうと思い、ずっとCDをかけていました。

図書館でCDを探して聞こうとおもいましたが、あまりにも雨が強く家にいることにしました。ちょうどサティのCDが身近にあり、きくことになりました。

いつも弾いている曲をプロがどうひくか再度確認したかったのと、まだ弾いてない曲のいつか弾くときのための予習のためです。

 ゆっくりと弾く曲はだいたい解釈はいい線いっていました。プロはもっとさらっとひいていました。私は感情を入れすぎかもしれません。新井満がなくなったら流してほしいといった曲は小
鳥がさえずっているようで、とても明るく軽やかでした。私のタッチはもっと軽くしたいです。その新井満はもう鬼籍にはいられました。
 ずっと前、金沢の21世紀美術館でサティの演奏がありました。この時の一柳氏の演奏を私の解釈とどう違うかドキドキしながらききました。ほぼ私の解釈と似通っていたのでほっとしました。彼も鬼籍にはいられました。なんだか澄み切ったかなしい音が感じられます。

 サティは左上の言葉を残していました。”ピアノは、小切手のようなものでそれを触れた人だけに喜びを与える” 

 ピアノを触れることができる喜びを改めて感じました。サティを聞きながら、サティを弾きながら癒されていく自分をかんじました。