私がしている節水(水を大事に使う)対策とその理由⁉️

 

 生まれ育った二俣町は、山の共同水源から水を引いている。

 小さい頃は、なんの疑問も有り難さも感じずその水を飲んでいた。

 蛇口を開けっぱなしにしていても、ずっと水が出っ放しになっていても誰に叱られることも無かった。

 自然の恵みなんて少しも感じず大きくなる。

 そんな贅沢な水に対する空気のような思いが一変させる出来事が小学校2年ごろあった。

 それは、なぜかわからないが、東京オリンピックに、行かせてもらい東京の水を飲んだ時だ。

 (解説、あの当時うちの経済状況からすると、子どもをオリンピック見学に送り出すことは、清水の舞台からより、東京タワーから、飛び降りるくらいの気持ちで親はいかせてくれたのだと思う。)

   その飲んだ東京の水の不味いというより、まるで薬っぽく飲めたもので無かった。 

 きっとその時から、私がいただいていた水が美味しいこと、水は何気なくふんだんに周りにあったが大事なものでないかと考えるようになった。

 社会人になり神戸、千葉県八千代、インドネシアスマトラ島、東京と住む場所が変わる間に、また、水が空気のような存在になっていった。

 ある日、何気なくテレビを見ているとアフリカのどこかの村では子供たちが、学校にもいかずまいにち片道3-4時間をかけて水を汲みに行っているとのビデオが目に飛び込んできた。

 私が何にも考えずに飲むことができている水、それをほとんど一日を掛けて手に入れているところもあるのだと衝撃を私は強烈に受けた。

 それからは少しずつ水との関わりが変わってきた。

 例えば、カミソリを使った後水できれいにする時は、蛇口から出す水は、1-2ミリのチョロチョロ水で洗う。

 うがいは、少しの水で上を向いてできるだけ長く、顔を洗うのも流水でなく手のひらに溜まる程度の水で😸猫に習ったように大事に顔面を洗う。

 こんな小さな節水だが、この暑い夏でも、こまめに水分補給しているが、いつも飲んだ後は「あー、んまい(美味い)」と自然に口から出る。当たり前でない水の有り難みを感じる時だ。