捨てられたビニール傘からちびた鉛筆にキャップを被せて使っていた小さい頃を思い出した。

 

 昨日、町の電気屋さんを60年以上続けているところに、どうしても点火した後すぐ消えてしまう電気ストーブを修理のお願いに伺った。

 その帰り道、強風で車に乗っていてもその激しさが伝わるくらいの唸り音が聞こえた。

 ふと交差点で信号待ちをしていると、透明ビニール傘が、開いたまま道路の中央に風に乗り出て来たりしてまるでダンスを💃踊っているように道路上を行ったり来たりしていた。

 持ち主は、何気なくどこかに開いたまま建物の中に入り、傘が風で吹き飛ばされ迷子になってしまったようだ。

 それにしても傘も寂しいし、持ち主に戻らないのも勿体無い。

 多分安いものだからまた、買えば良いと、思っているのではないかと想像する。

 安いから使い捨てしても良いというのは、少し違うように思う。

 私の小さい頃、鉛筆は使っていて短くなったらキャップを被せて最後の2-3センチになるまで使い切った。豊かでなかったからだと思うが、周りの同級生もほとんどそんな使い方をしていた。

 

 そんなチビた(短い)鉛筆が筆箱の中にあるのを眺めると何か仲の良い兄弟姉妹のようにホッとする。そこに新しい削りたての長い鉛筆が加わると短い方に遠慮しながら筆箱におさまる。

 また、消しゴムも、小指の先よりまだ小さくなるまで使うことが当たり前。果ては、なくなるとつばを人指し🖕につけて文字を消そうとして紙が破れてしまうこともあった。

 あのビニール傘もそうだが、使い捨てでなく、やはり使い切る、大切に使うことが愛着も湧き良いのでないかと思う。

 よく「100均で買ったのだから❗️」という言葉を聞くが作った人の気持ちになればどんなに小さく安いものでも、ありがたく使いたいものだ。あのビニール傘が、助けてー♪と叫んでいるように思えた。