ふるさとの山(医王山)に向かいて言うことなし

 昨日、新竪コーヒー祭りに行く道すがら、ふるさと二俣町から、いつも仰いでいた、医王山がくっきり見えた。

 その麓で、小中学校時代、学校所有の山林の下草刈りを行事としてしていた。草が伸びる前に、鎌を持って人力で生徒全員が参加した。今から考えるとあの世話をした杉の木はどうなったのか?疑問が湧くが、あの時、汗をかきながら昼になって食べたおにぎりの格別な味、あのような機会は、今はない。

 また、童謡そのままの「ウサギぼい(兎追い)」を、冬にするのも懐かしい。いくつか網を立てて、逆の方から追い上げて、網にかけるのだが、ウサギ🐇の方が賢くなかなか網にかからない、網と網の間からするりと逃げていく。しかし、何匹か捕まえることができる。

 この後が、大変。翌日の昼の給食にウサギの肉団子として出される。なんでも美味しく残さず食べる私ですが、あの可愛いウサギ、必死に逃げ回った光景、まして、骨もすりつぶしてあるのだが、骨があることから、なかなか完食できない。

 そんな思い出のある医王山だが、冬山での惨事、遭難事故もあった。大晦日から、冬山に登り始めた、現かほく市からの兄弟が、13日になっても家に戻らない。とおちゃん(坂井昭保)も、2人のうち1人が教師だったので必死に関連する機関に救助を求めた。中西陽一(当時の知事)を、通じて自衛隊に捜索依頼し、地元の住民も巻き込み捜索したが、見つからない。

 結局、春になって、兄弟がお互い庇うようにして、綺麗な姿で発見された。

 医王山のみならず、山はきれいに見えるが侮ると大変なしっぺ返しが来る。