孫のランドセルを家族総出で買いに行き、今の時代に「おさがり」という言葉はなくなってしまったのかと思う。

 

 3番目の孫と先日顔を合わせると、恥ずかしそうにハガキを渡された。

 そこには、一生懸命次のように解読出来る文字が書かれてあった。「こちらこそありがとう、おみせのひとほんとにありがとう」と。

 一言も、じい、ばあ、大婆へのありがとうがない!ショックと同時に、お店の人から手渡されたので、そのスタッフに感謝の気持ちを伝えたくて書いたのかもしれないとこちらの気持ちを切り替えた。

 このランドセル購入について、思い出したことがある。今の子供たちは、人数が少ないせいか兄弟の持ち物を、上から下に(おさがり)で使うことがないのだろうか?

 私の小さい頃は、教科書などもおさがりで使っていたように思う。

 ものを大事にすることもあるが、新しく買うだけの生活に余裕がなかったのだと思うが、それを貧乏だとは少しも思わなかった。クラスの同級生にも同じように古い教科書を使う生徒もたくさんいたからだ。

 お下がりのいいところは、貰い受ける下の子は、兄、姉が大切に使ったことを感じられるし、また、それ以上に、譲る上の子は、弟、妹が将来使うことがわかっているので、書き込みをして、解説までしてくれることもある。

 いずれにしても後から考えると兄弟姉妹の絆が強くなるように思う。

 こんないい習慣?が、生活にゆとりがあるおかげで廃れていくのは何か勿体無い気持ちになる。

 物が溢れ、豊かになるにつれ、工夫、我慢をする機会が少なくなる。何か割り切れない

 いろんなものを、ずっと使う習慣、また、使える間は、大切に使い続けることが物を生かすことだと思う。

 現代の日本では、一度限りしか使わないもので溢れている。反面、食べ物など廃棄される物が社会問題にもなっている。初めから、食べれるだけの食料を買い、腹八分にしてありがたくいただいて居れば捨てられる食べ物も減ってくるのに。

 飢餓に苦しむ人々が多く地球上にはいるのに、勿体無い。