インドネシア生活(tidak apa!)

少しずつ現地の生活に馴染んできたある日。ひとりで、スマトラ島の現場から、ジャワ島にある首都ジャカルタにある住友商事の担当者と打ち合わせることになった。
 全くのお登りさんで、長閑な田舎から都会に来て、右も左も分からない状態。

 しかし、生来の好奇心の塊。

宿泊したホテルの周辺を歩き回り過ごす。 

 夜、Abeさん(商社の担当)に、美味しい店があると連れて行ってもらい食べさせていただいたのがカエル🐸だった。

 全然気が付かずえらく美味しい肉だと思いながら切れ目なく食べた。「何の肉かわかりますか?」と聞かれモグモグしていると「カエル!」と答えを言われびっくり‼️
 カエルは、田んぼでしか見たことは無く、マジマジと皿の上の固まりを見る。 
 急に腹一杯になり、ホテルの部屋に帰る(カエル)。
 雰囲氣がどこと無く違う。鞄の鍵のかかるところが壊されている。
 調べてみると、現金などがなくなっている。幸いトラベラーズチェックは、無事で何とか帰るだけはできる。
 ただ、被害届をホテルの窓口を通じて警察に届け出た。

 このような初めての出来事を現地スタッフに話すと、一様に言われた言葉が、tidak apa(何ということないさ!なるようになるさ!)だ。

 結果的に警察からはなんの連絡もなかった。

 

 こちらは被害を受けたのに、なんという言葉が返ってくるのか?と怒っていたが、よく考えると、命があっただけでもめっけもの。

もし、部屋でドロボーと鉢合わせてケガでもしたり、殺されたりすることを思えば、胸を撫で下ろすのが良いと思い治す。
 こんなことがあってからは、自分から何か仕事上、生活の中で困難、苦難に出くわすと口から「ディダアパ」というようになっていた。
 そんな環境に長く生活していると、日本に帰国してからもどんなことがあっても(なんとかなる)と、思い直せるようになった。

 インドネシアの現場では最も参考になったのが篠原さん。

 

 言葉はあまりインドネシア語を使わないが、誰にでも気軽に言葉がけをして、身振り手振りで1番気持ちが通じた日本人。なんとかなるさの体現者だと思う。
インドネシアの人たちと話すときは、熱がこもって大きな声で、体全体を使って話されるので、宿舎の現地スタッフから一番慕われていて、身の上相談などにも
篠原さんは応じていた。