私の父、坂井昭保(あきやす)と母 照子!

 

母ちゃん照子は、長く寝たきりで施設に入っている。
 コロナで面会もできず。
 小さい頃は、夜中に母がトイレに起きると、一人で寝るのが怖くて、後をついていき、トイレの前で待っていて終わったら又、母と寝床に戻った。 

 寝るまでは母のオッパイをずっと触っていたらしい。(いつも、口癖のように話していた)

 

 最も小6まで、オネショしていて、流石に恥ずかしくて、そっとそのまま布団を片付け、バレたこともある。

 母は、記憶力抜群で、小学校の教員であった、父のクラスほとんど全員の名前から 家の電話番号まで覚えていた。

 何かあるたびに、父から電話帳がわりに重宝されていた。

 また、生徒(子どもと父は、いつも言っていた)

の、家族構成まで頭に入っていた。

 のちに認知症になって、その原因はわからないが、私は若い頃、母が頭の使いすぎで、休めるためにそんなふうになったと思っている。

  母はまた、非常にひょうきんなところあった。

 たまに、田舎に帰って話すると、「ところで、あんたどなたさんやったけ?」と、真顔で聞いてきた。あたふたするこちらの様子を見て、にっこりほくそ笑んだりする。 

 でも今は、そんな冗談も言わない、ベッドに寝たきり、目も開けない状態から。寂しい限り。

 

 父の口酸っぱく言っていた言葉の一つに、「うちは、裕福でない。

 どちらかといえば、生活が苦しい。

 でも、お金が必要な時は、なんとしても工面する。

ただし、ドブに捨てる金は、一円もないし。」がある。
 特に勉強する際に何かお金がかかるのだったらいつも、快く出してくれた。 

 たまたま、中3の冬、東京で冬季講習があるから行きたいと、申し出た時は、さすがまとまったお金がいるからダメかと思ったが、二つ返事だった。

 後で考えると、東京には沢山の親戚があり、まさかのときには、世話になれば良いくらいに思っていたのだと思う。

 このように父が、考えるようになったのその生い立ちにある。 

 勉強付きの父は、旧制中学に、入学したのはいいが、学費が、どうしても払えずやむなく、中退し、師範学校に入る。

 行き帰りに、これまで同級だった第二中学校生徒と、同じ電車に乗ることがある。

 その時は、帽子を手で隠し途中下車したらしい。

 このような悔しさがあったから、子供には、そのようなつらい思いはさせたくなかったから、楽ではない生活の中から、お金に関する心配は感じたことがなかった。

 最近知ったことが一つ。

 とおちゃんは、今でも小学生の頃、クラスの仲間からいじめられたことを、夢にみて、寝汗をかき、目を覚ますことがあると。

 (例えば、あだ名、「青っ洟」 鼻水を服の袖で拭っていると、鼻の下が青く見えることから、囃し立てられ、仲間はずれにされていた)

 小学校の教師の頃、なぜかしら、仲間はずれにされそうな生徒には特に目をかけ、その良いところで自信を、持たせるように声かけしていたようだ。

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(縁あり 父が、川端康成先生のところに尋ねる途中で、西田幾多郎先生の奥さんから頂いた書)

 小さい頃、母を亡くした父が、井上靖に、書いてもらった書

 

 

良い心
 

 

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