和紙提灯


皆様、ちょうちんと聞いてどんなイメージがわきますか?
お祭りのイメージが強いですかね。
昔は折り畳み式の携帯ランプといった感じですが、今はお祭りを連想してお祭り好きな私にとっては、なんだかわくわくするものがありますね。
コロナの前は百万石まつりの前日、金沢中の子供会で提灯行列があり、金沢市中央公園に集合して各々の町会に戻ったものです。
あちこちで行列を見かけ、うきうきしたものです。
お世話係になったときは、子供たちに大急ぎで軽食をたべさせ、行列をスタートさせなければならないので、サンドイッチを手配し走り回りました。
子供たちが喜んだかどうかわかりませんが、今となっては懐かしい思い出です。
そんなちょうちん行列ですが、行列のまえにお世話係は まず参加人数と提灯の在庫をチェックしないといけないですね。
サンドイッチが足りないと大変ですが、せっかくのちょうちんがないと行列に参加しても面白くないですね。
提灯を手配するには
同じ提灯を手配する時、言葉でつたえるにはまず、サイズを言わなければならないですね。
サイズは図を参考にしてもらえればいいですよ。
参考までに図のちょうちんのサイズは直径42㎝、高さは上の黒い部分から下の黒い部分までで6cm+42cm+6cmで54cmです。
(最終的には直径42㎝、高さ54cmの提灯となります。)
和紙の提灯は、職人さんがつくるので昔ながらの製造方法で、独特の風合いがあり、いいものですね。
紙なので、水濡れに弱く、
油引き加工や撥水加工をする場合もあります。
油引き加工についてはまた改めてお話したいと思います。
納期、費用ともビニール製にはない味をだすため、余裕をお持ちください。
見積もりは無料です。
和紙の風合いにより、飾ったところの風格が一段と上がりますよ。
日本の誇るべき和紙の文化 です。
油引きとは
和紙の提燈に防水加工をするために、日本の昔からの知恵で油をぬり、補強をしました。
しかし完全防水ではないので、注意が必要です。
油は主に亜麻仁油が使われます。
環境にやさしいナチュラルな油です。
油引きしてから防水効果が出るまで2-3週間かかります。
受け取り後、陰干しを3週間くらいすることをお勧めします。
その間大事に屋内に干すといいですね。
商品到着後、後で油引き加工を加えると費用がかさみます。
使用目的にあわせ、最初から必要ならオプションに入れるといいでしょう。
提灯はたたむ度に負荷をあたえるのでたたまないほうが長持ちします。
提灯の補修は?
もったいない精神やSDG’Sの観点から補修をしたくなるのは環境にとてもいいことですが、メーカーに提灯を送り、和紙を全部はがし、張り替える作業が発生します。
一部紙が破けても、新しい紙と色がかわるので、全部はがすことになります。
結局新しいものを買うくらいの費用になります。
新しいもののほうがもちがいいですので、こちらのほうが長く使えておすすめです。
納期は?
オーダー品ですと、数にもよりますが、だいたい1か月くらいかかります。
既製品の場合は1週間くらい見て下さい。
ただし繫忙期になりますと、このとおりではございませんので、余裕をもってご注文下さいませ。
できるだけご希望に沿うようにいたしたいので、納期のあるものは、最初にご連絡いただければ幸いです。
わくわくするイベントを最大限にもりあげたく思います。
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明治24年創業。1世紀以上この業界でお世話になっております。
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村松商事株式会社 女将の範子です。
村松商事株式会社
https://hatanomuramatsu.com/
よろしくお願いします。
昔は金沢一ハイカラだった尾張町生まれの尾張町そだちです。
三人姉妹の長女としてうまれ、家も会社も継ぐ宿命に。
自由がいいなあと他を羨ましがっても仕方ないので思い切り空想の世界をワープすること数十年。
家を継がないで高飛びして外国に行きたいと思い、フランス語を必死で学ぶも芽がでず、今日に至る。
少しだけ人助けができたかなとは思います。
国際交流のお手伝いをして皆が平和になりますようにと一貫して昔から思っていました。
きっかけは1964年の東京オリンピックです。
6歳くらいのころオリンピック行きの切符が商店街のくじであたり、母といくことになりました。
初めて行く東京で初めていろんな国の人を見て驚きました。
言葉が通じないけれど世界中の人とお友達になりたい気持ちでいっぱいでした。
言いたいことがいっぱいあるのに言葉がわからないもどかしさをとても強くかんじました。
そして、陸上の黒人の選手が最後に走っているのを観客皆が拍手で送ったのをはっきり覚えていました。
言葉や肌の色などの違いを超えて皆、心は同じだと感動しました。
このことを高校の英語のスピーチコンテストで発表しました。
https://hatanomuramatsu.com/archives/1274
それ以来、ずっとたって自宅で国際理解の会を開きました。
月に1回料理を持ち寄って外国に行ったことのある人にお話しを聞いたりする会です。
外国人をお招きしたりもしました。
国際結婚をした女性も小さいお子さんをつれて来て、幼稚園のようなときもありました。
モロッコ人の友達が困ったときにはアイスランド人やインド人、フランス人、フィリピン人の友達を招集してみんなで困りごとの糸口をみつけだしました。
おばあさんになったら世界中の友達のところに旅行できるねと皆で楽しいことも考えました。
モロッコ人の友人は深刻なときもありましたが、いまでは再婚して幸せに暮らしているので、外国語を使って人助けができてよかったと思います。
多様性の中で育った子供たちは皆世界に羽ばたいてほしいものです。
スポーツの国際大会とかのボランティアにも機会あれば参加し、大阪の世界陸上には次男が関西の大学に受かったので、はっぱかける意味でボランティアに応募したら、彼は説明会の段階でやめてしまって私だけが参加しました。
アフリカの選手たちと交流できて貴重な経験でした。
世界少年野球大会では、今でこそハラルフードをイスラムの方に提供しますが、当時は特別にハラルフードをださなかったのでイスラムの人には食べるものがあまりありませんでした。
反乱がおこりました。矛先は私にきました。
たしか、チュニジアは昔カルタゴと言っていたと思い起しました。
そこで、名案!カルタゴの子孫であるあなたたちは勇敢にもローマに勝ったんですね!といったら急に誇らしげな態度にかわりました。
カルタゴがポエニ戦争でローマに勝ったことをおもいだしました。
そして、騒ぎが少しおさまり、私はチュニジアのメンバーからバイニージャという名前を賜り、まるでヒロインのように扱わられました。
軍人上がりの引率者は チュニジアでは私書箱を持っているんだと誇らしげでした。
スポーツの担当は富国強兵の流れで軍に関係あるのです。そして、子供たちは、この寮にいるからチュニジアにきたらぜひ来てくださいといいました。
古代ローマに関心があるため救われた例です。
古代から現代、やはりつながっているんですね。
今は古代ローマのことをとことん知り尽くそうと思っています。
ポンペイ展、企画のちがうもの3回みました。幸い偉い先生方が多くの本を書いていらっしゃるので資料に困ることはありません。
いろんな視点からローマを見ると面白いです。