田んぼを見ると私が思い出す事。

 (写真は、2013年 田んぼに行き手伝いをしている私と指示を出すとおちゃん)

お寺(本泉寺)と、田んぼが、私の小さい頃からの生活の思い出の大部分。

 その田んぼについて、大きくなるにつれ関わり方が変わって来たことを書きます。

 まず、小さい頃は、春、田おこし、田植えに、連れて行ってもらうがまだ、手伝いの人数に入れてもらえず、もっぱら田んぼの周りで遊んでいた。小学校に行くようになり少しだけ仕事がもらえる。

 それは、仕事に疲れ休憩時間に入る頃、休む場所まで、お茶の入ったヤカン、お菓子などを運ぶ事。

 さらに私の学年が進み小学高学年になると、苗運びと言って田植えの際、3-4人が20センチほどに育った青々とした苗を、3-4本ずつ植えていく。すると思ったより早く手持ちの苗がなくなっていく。その時に、苗床に植わっているところから、まとまった苗を、持っていき手渡したり、田圃の畦から離れたところに植え手がいたら、そこ目がけて放って渡す。(この技術?については、だんだん上手くなるもので、初めはあらぬ方向に苗の塊が飛んで行き帰って仕事が中断してしまう)

  また、この頃は、夏休み中、「水まわり」という大切な仕事が小さい私に任される。

 それは、田んぼに入ってくる水量の調整というかなり重要な仕事だ。これをこまめにしないと、らいねが順調に育たない。田んぼ一枚一枚に、水の入り口出口があり、田んぼに水がありすぎても渇く間際でもダメで適度になるようその都度泥または、藁を置いたり、取り除いたりする。

 その作業は、楽しく朝、早く起きるのも全く苦にならない。

 しかし、ひとつだけ嫌な事がある。あぜ道を走って、田んぼから田んぼに移るのだが、時々ヘビ🐍に出会う事がある。彼らも朝の早くから住みついているところに振動が起きビックリして姿を現す。

 何にもしないヘビだが、流石に立ち止まり見えなくなるまで私はじっとしている。

 何かその日はドキドキの気持ちが続く。

 また、家族総出でしていたのが稲刈りの後の稲架(はさ)かけ。

 細い丸太を組んで出来たはさに、刈ったばかりの稲をかけていく作業。大抵は、はさの上には、とおちゃんか、あんちゃんが上がり下から放り上げた稲をかけていく。この作業は、大抵夕方にまで、時には日が沈んでも続く事がある。そんな時、妹が「はよう帰ろうや。帰らんが?」と、私の気持ちを代弁してくれる。それでもやめないと涙ながらに言ってくる。すると、作業を打ち切りかえることになる。辺りは真っ暗になっている。

 中学生になると本格的に田んぼ仕事の担い手になり、耕運機で、田んぼを耕したり、そのあと、水を入れ田植えできるようにする。

 この一連の作業に加わるのが当たり前で、社会人になってから3日連続で慣れない仕事を張り切ってしたところ、熱を出してしまったこともある。

 こんな時間を過ごした私は、田んぼを見るたびこのようないろいろな思い出がよみがえる。