昨日、95歳になった父、長生き、感謝の毎日はどのようにしてできたか?

  髪の毛が40歳代から、後退し始めたとおちゃん(坂井昭保)

 思い出は、やはり、家族総出の稲刈りに始まる。

 今のように稲刈り機がなく、全て、かあちゃん、ねえちゃん、とおちゃん、左利きのあんちゃんが、刈った。それからが大変、少し暗くなった頃から、束ねた稲藁を、稲架(はさ)にかける仕事。

 とおちゃんが稲架の上に上がり、下から妹、私が一つひとつ放り上げる稲藁を受け取り順にかけて続ける。

 あたりが暗くなり目が慣れて来ても、まだ刈った稲藁が残っている。

 だんだん腹が空き、疲れも溜まってくる。

 妹が「帰らんが?」「帰ろういね!」と、半ベソをかく。

 ありがたい。私も言いたかったことを言ってくれて。

 痺れを切らしていると、母ちゃんの救いの「とおちゃん、帰るまいかいね!」ようやく帰れる。

 とおちゃんは、田植え終わった後に除草剤を撒いていた。

(今から考えると毒性が強く、撒き終わったあと、いつも「疲れた」と言っていた)

  また、足も疲れて来たら小さなコブが、あちこちに出来ていた。(静脈瘤)子供心に(こんな風になるまで仕事させることになり、本当に親になるのは割が合わない)と思った。

 お酒を飲んで帰ってくると「どや、元気でやっとるか?なんでも良いし、日本一になれ。かけっこでも、歌でも、自分の得意なことで。とおちゃんに、歌を歌えと言うても、無理やけど。」

    いつの頃からか、たまに若い頃喧嘩していたかあちゃんのことを、折に触れ褒めるようになった。「ここまで、4人の子供をキチッと育ててこれたのも、みんな照子(かあちゃん)のお陰や。どんなことがあっても、お前らの、授業参観には、必ず行った。照子が居ればこそや」

  また、今では同居するあんちゃん夫婦のことも、何かにつけて、世話をしてもらっていることを感謝している。

 長生きするのは、生活習慣、食生活もあるが、とおちゃんのように、周りの人をはじめいろんな人達に感謝する生き方をするのが何よりのクスリかもしれない。

 私も髪の毛以外はとおちゃんを見習いたいものだ。

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