私の走ることが日課になったきっかけと、つづけられた理由。

(写真はインドネシア🇮🇩で、現地の人の中での一枚。この頃20キロそうに参加し優勝)

 私が社会人一年生の時、川崎重工神戸工事に勤務した。

 毎年恒例の職場対抗駅伝が秋口にある。

 人事課のOさんは私たち新入社員の、2週間くらいの新人研修期間中、私が舞鶴の海上自衛隊で23日の訓練最終日にあった3000(1500)M走で、私が総勢78名の中で優勝🏆したのを知っていて、「坂井くん今度の対抗駅伝に、原動機事業部管理課チームのメンバーに入っているから頑張って下さい」と、決定事項のように伝えて来られた。

 仕事は満足にできないが、走ることは舞鶴自衛隊研修で自信をつけていた私なので、ワクワクしながら当日が来るのを待とうと思った。が、チームリーダー格のKさんから「毎日少しでも昼休み走り込まないと、勝てないよ❗️」とアドバイスをもらい、昼休み練習した。 

 その成果があり、大会で優勝しこれがきっかけで、私の中に走る事に対して楽しさを感じるようになった。副産物として、職場では、多くの先輩から名前を覚えてもらい仕事も楽しくなった。

 よくよく走ることを考えてみると、出費はシューズ代だけ。走っている間の、あれこれ頭で考えていることもなく、足の疲れが程よい快感に変わっていく。誰にも邪魔されない自分だけの時間が有難い。

 それから、職場が千葉県八千代市に移ってからは、住んでいる独身寮から、工場まで片道約10キロを土日に走ることもあった。

 こんな日常を過ごしている中、インドネシア🇮🇩で、働く機会をもらった。現地の生活にどっぷり浸かっていたが、マラソン大会があって参加した。インドネシアの参加者は、大会日まで、毎日練習していた。私は、1週間くらい前からやんわり始めただけなのに、なんと一位で、テープを切ってしまう。商品が腕時計⌚️

 そのままいただくのも申し訳ないので(贈呈式の時、私がいただくのを見る周りの人々の羨ましそうな強烈な視線)2位のインドネシア人に、私から譲る。

 帰国してからもお金のかからない走ることはやめられない。ついに、青梅マラソンにエントリー。

丘みつ子も参加するとの噂。そんな俳優なんかに負けることは絶対ない!そう言い聞かせ私は走り始めたのだが、20キロ地点前に追い抜かれてしまう。何とか完走するが、膝を痛めて、金沢に帰って鍼灸治療で治す。

 今では、そんな走ることを忘れてしまった生活。