「あんやと」と言う人に私はなりたい!

 

実家二俣にいるとおちゃん(坂井昭昭)は、96歳になる。時々会いに行くと、帰り際に、「十分息できとるがかいや?」と私の睡眠時無呼吸症候群のことを思いやり気遣ってくれる。また、昨年、運転免許を返上したので、ちょっとした買い物(日常のものはあんちゃんやお姉さんが用意してくれている)などがあると、急がないものを買うようにとお願いされる。

 私としては気軽に買って次に二俣に足を向ける際に、持って行く。その都度何か重要なものを手に入れたように「あんやとなー!」と、拝むようにしてお礼を言ってくる。こちらは、そんな大それたこともしてないのに感謝されると、心の中がホンワカして、次も何か用事があったら聞こうと思ってしまう。

 それと同じように、最近同居する事になった、お母さん(村松貞)は、とおちゃん以上に頻繁に感謝される。コーヒー、お茶、ご飯などを運んで3人でいただく時も、その度に「ありがとう!」とはっきり口から出る。(とおちゃんと違い、育ちが良いからか、標準語)その言葉を聞くたびに思うことがある。じっくり観察していると、とうやら、歳をとると2種類に分かれる。あれこれブツブツ不満を周りに言う年寄りと、とおちゃん、貞さんみたいに、仏さんのように感謝する老人とに。

 ブツブツ年寄りの気持ちもわからないではない。これまで自分ができたことができなくなり歯がゆい思いを周りにぶつけている。しかし、そんなことをしていると、世話をしている人からだんだん疎まれ、しまいには、寂しい人生の末路。

 この2人の真逆の年配の人のお話。

 弊社は、通信販売をしているのですが、昨日、お買い上げいただいたお客さまから、注文したものと違う色の毛糸が入荷したとすごい剣幕で捲し立ててこられた。よくお聞きすると、画像に掲載されているサンプルの色が何もせず(色を選択しなければならない。お客様は、個数だけ選んだが、個数の前に色を選ぶ個所があり、個数を選んだ時点で、色は最初の表示されている色が自動的に選択される)個数だけ選んで注文された。このことを詳しく丁寧にスタッフが長い時間をかけて説明したが、最後にガチャンと電話を切られた。このように自分のしたことを絶対間違いないと思い込み聞く耳がない老人にだけはなりたく無い。