ダラの坂井と呼ばれた高校時代⁉️

どうして、ダラと呼ばれたか?

(写真最前列1番左端、坊主頭👩‍🦲の、憂いを醸し出しているのが私)

それは、入学まで遡る。

入学できた金沢大学附属高校(今では、もっと長い名前に変わっているが)は、ちょっとした進学校。

 中学時代の私の成績では、絶対に無理な学校。
 裏から手を回したのでもない。

 実は、姉ちゃん(4人兄弟姉妹の2番目)が、先に入学していてかなり成績が良かった。
 それで、その弟なら、いまは、さえなくても将来伸びしろがあると、学校側がはんだんしたのだろう。

 また、その当時あった県内統一模試で、一回だけ、名前が上位に載ったことも、入学を許されることにつながった。

 ただ、こんな状態で、入れてもらったので、他の生徒の学力レベルとの差が大きかった。

 授業でも内容が全く理解できず、わからないまま進めないので、質問する。

 何度質問してもわからない。

 

 これが続くと、周りから、「坂井(村松家に養子に入ったので、旧姓)質問するな。時間の無駄やし!」

と、言われた。
 今から思えば、同級生には授業が当たり前に理解しているのに、私だけがわからず、質問していて迷惑をかけていた。
 でも必死だった。
 

先生も、授業で、席順に質問を聞いていく。

 何回か、私にもあてられるが、その都度「わかりません」が続く。

 ついに私を飛ばして質問がされるのが常態化。

今でいう、イジメに会っていたが、カエル🐸の、ツラにションベン!

 めげずに、3年間すごす。

卒業写真にも、名前の前に ダラ と枕詞のようについて、皆から諦め半分で呼ばれて、寄せ書きにも ダラの文字が踊っている。 

 

 いわゆる仲間はずれ、今でいう浮いた存在。
 しかし、鈍感な性格なのか、ついに授業中に質問するのをやめて、教官室まで尋ねるようになる。

 先生方は、こっぱい(大変苦労)なめに遭われたと、今になって反省。

 最前列中央の、担任数学担当上田先生からは、「内申書は、みんなの困るようには書かない。でも、坂井のに、都会的センスのある洗練されたなどと見え透いたウソは、やめておく。」

 

 まあ、いずれにしても、今だにダラのたちは、治っていない。

 

小生の書いた寄せ書き、「生きていてよかったの男」 何か悩んでいたのか覚えていない。横のだらの坂井とかいたのは、ほんわか別川。

 

 室生犀星作詞の校歌は、今でも口ずさめる。

一回も学校名が、出てこないのが誇り

87.471.69418

明治24年12月創業 旗の村松 手芸の村松

〒920-0902 石川県金沢市尾張町1-11-12

村松商事 株式会社

電話 076-261-0165 ファックス 076-261-0169

Email  info@e-muramatsu.jp

URL: https://e-muramatsu.jp/

ブログ https://ameblo.jp/e-muramatsu

 

旗の村松 で検索お願いします。