歎異抄をよむを10回以上読んでいるとおちゃん(坂井昭保)

(写真は8年前、受け持った子供で亡くなった生徒を毎年、二俣町本泉寺で法要する記事。心、つながりを大切にしていたとおちゃん)

 昨日、ふるさと二俣町の実家を尋ねた。あんちゃんから、加賀市の知り合いから頂いた梨を、お裾分けするから私に、取りに来ても良いと言われ喜んで行った。

 梨を箱にもらい、いつものようにとおちゃんの部屋を覗いた。

 ベッドの枕元に堆く本が積んであった。

 半分眠っているような様子だったので、揺り起こしてこっちを向いてもらった。

 半開きになっている本、高森顕徹著「歎異抄をひらく」が、見えたので「何回も読んどるが?」「ほりゃ、10回以上は読んどる❗️」「徒然草、方丈記も、今になって読んどる。」

  私から「凄いじ。もっと若い頃読んどったら、違っとったかもしれんね?」というと、「何言うとるが?若い頃は本なんて読んどる余裕がないわ!4人の子供を育て上げるのに目一杯で、(父は小学校の教諭をしていた)授業が終わるとさっさと学校から家に戻り、畑、田んぼの仕事をしていた。本を読む余裕なんて無かった!」ととおちゃんが答えた。

 私たち子供4人は、そんな苦労している姿は見ていたはずだが、自分がたった2人の子供を大きくするにも四苦八苦していたことなんて小さな事だと改めて思う。

 この話を家に戻ってかみさんにすると「歎異抄知っとる!中学の試験に読み方(たんにしょう)と書いてもらった!」と、浅い反応。バチ当たり者。

 とおちゃんから、私たち4人兄弟姉妹に、それぞれ歎異抄関連の本が渡された読むことをとおちゃんから、ずっと前から勧められた。

 そんな話を、とおちゃんと私がしていると、また、思い出したように話が続く。

 「淳いや、お金、財産など、たくさん年寄りになって持っとる人がいる。しかし、一番大事なのはココロ()や!今、とおちゃんは、うちのまわりの草むしりも出来ん。何にも役に立つことは出来ん。

 小さな心配はいくつもあるが、心はいつもありがたさで一杯や。こんなことを思いながら歎異抄などの本を読み返してもまだ理解できないところもある。」と、とおちゃんがつぶやいてくる。

 それを耳にし、私はなんとなく胸がいっぱいになり「じゃ、またねー。元気しとってね」と私の気持ちが悟られないように部屋をあとにする。

 90歳を過ぎても、本を何度も読み返すとおちゃんには脱帽だが、私もあれだけの気持ちを持ち続けたいと思った。