私の山歩きの小さい時からの変わり方⁉️

 

 私が生まれ育った二俣町は、標高939Mの医王山の麓の町。

 小中学校(生徒の人数が少ないので一つの学校の中で、9年間勉強する)の窓からはいつも真正面に、医王山がデンと構えている。

 山といったら医王山。

 小さい頃は、学校からも遠足で登ったり、家族で行ったりしていた。

 その頃、小池(おいけ)から、サンジャが滝をまわり、鳶が岩(トンビ)に登るコースが定番だった。特にトンビに行くのが楽しみだった。

 なぜなら、かなり急な斜度だが、小さい軽い身だったので一気に駆け上がることができたから。

 大人の人達がゆっくり注意しながら登ってくるのを横目で見ながらトンビの頂上まで行けた。

 それから50年以上経ち、横目で見ながら優越感を抱いた大人の年齢になってひさしぶり5年前チャレンジして気持ちと体のギャップに驚く。

 駆け上がるどころか、慎重にゆっくり進もうとするが安定した足場を探すのに一苦労。ぼちぼち進んでいると、その横を風のように上がっていく小学校に入るくらいの子供がいる。

 彼は私が昔感じたように私を追い抜いて行った。

 この時にやはりあまり無理しないで山登りをすることに決めた。

 相前後して、カミさんが見つけた鞍掛山に足を運ぶようになり、愛する会の会長山下さんに、私達二人が毎回お世話になる。

 お世話になってばかりでは申し訳ないので、年に何回かある登山道の整備に参加している。

 特に、草刈りの季節には、草刈機持参で参加する。 

 

 草刈りは私に取りお手のもの。ただ、アップダウンあり、岩場ありの登山道を、草を刈りながら道を歩いて登っていくのは経験がない。 

 ただ、これからずっと歩かせていただく道なので、丁寧に刈っていく。

 トンボの里整備する時などは、ぬかるんだ畑に入り灌木を切ったりして、鞍掛山の環境整備に、参加した。

 そんな関わりをさせていただいていると、山下さんとも親しくさせていただき、いろいろなことを教えていただく。

 今は、山歩きといえば、鞍掛山のいくつかのルートを、楽しみながら休みながら登りおりすることだ。