ばあちゃん坂井タマケの死、私にとっての一大事!

 

 昭和62918日、ばあちゃんが死んでしまった。

 私が小さい頃、ちょっと落ち込んでいる時に、手を取って甲を撫でながらここから大きなお兄ちゃんになる!とおまじないをしてくれた。 

 また、少し深爪気味の私の指を見て、「働きもんの手やなー」と褒めてくれた。だから私は少しでも爪が伸びてくると、深めに爪を切るように心がけている。

 ばあちゃんは、信心深く、折に触れ家の前にある本泉寺さんに、お参りに行っていた。家にあるお仏壇も、貯めていたお金を殆んど叩いて洗って金箔を貼ってもらった。ばあちゃんとの話に、いつも死んだらどうなるかという事が話題になるが、どれだけ聞いてもピンと来ない。しまいに口癖のように「なんまいだー!」を繰り返して唱えている。

 4人の兄弟姉妹の中でも特別に私は、ばあちゃんから可愛がってもらっていた。相撲の関取の名前入りの浴衣を作ってもらったり、少しずつ貯めたまとまったお金を通帳ごと渡してくれた。あまり大金を持ったことのない私は、どう使えば良いかわからず会社の社員旅行などで使っていたらいつのまにか無くなっていた。

 そんなに身近で気持ちの支えであるばあちゃんが、亡くなってしまい言葉通り心に空洞が開いたように感じた。

 インドネシアに2年近く働くことになった時も、「酋長の娘だけは連れてこんといて!」と口酸っぱく心配して言っていた。

 今のかみさんは、日本人なので彼女と結婚して、ある程度、安心したのでないかと思い返している。

 実は、中学生になった頃に、衝撃的な事実を知った。

 それは、ばあちゃんとは、私達は、血のつながりがない、つまりじいちゃん(坂井要馬)の、後妻であったことを何かの拍子に解ってしまった。ショック、でも、ある程度大きくなっていたので何とか心に傷を負ったがそれを長く引きずらなくて済んだ。

 私にとってばあちゃんの死は、ある意味精神的に独り立ちをするきっかけになった。