18トリソミーの報道を見て私が思うことこと

今朝、沖縄のお母さんが、18トリソミーの娘さんを、産んだ時、どうして良いかわからなかった。 

 18番目の染色体異常のため、生存率も低く5分ごとに痰吸入の世話をしなければならない。

 このテレビ報道を聞く前、隣に住む貞お母さんに、エスプレッソと、梨を持って行った帰り、前の道に朝の散歩するお年寄り夫婦に出会い挨拶をする。(そう言う私も老人だが)すると、お二人から頭を下げながらあいさつを返していただいた。

 旦那さんは、よく見ると歩くのもおぼつかなく、また、言葉もゆっくりと、モゴモゴするような発声。

 家に戻ってテレビ画面を見ると、初めに話した、18トリソミーのことが出ていた。

 沖縄のお母さんが、この病気の子供たちの写真展を企画した。

 全国から多くの写真が集まった。その中の一枚を展示するかかなり悩んだとの事。

 それは、20数日で亡くなった子供の綺麗な花で周りを飾った顔の写真だ。

 最終的に展示することにした。

 このような話を聞いて、私は70年間近くもまだ、生かされているが、何か本当に一生懸命にしたか?と、自問自答するが出てこない。

 今からでも遅くない。何気ない小さなことにここれを込めよう。また、ブツブツ文句を言う前に、ありがたいと思う気持ちをもって前面に出そう。

 そのように思い、先祖の方々、私の周りの多くの人たち、物など感謝しよう。

 この18トリソミーの話を聞き、また、涙する朝のはじまり。