突然の、認知症の疑いと、わかってみれば、夫婦の会話の理解の無さが原因。

 昨日、大事なハガキ2枚を、いつになくゆっくり考えをまとめて書いてやっと終えた。

 少しでも早く届くようにと、夕方書き立てホヤホヤなハガキを出そうとしたら、かみさんから、中西進先生の万葉集を読む会のアンケートの返事を出すように言われ、急遽、貞お母さんとの連名で記入して先程書き上げた大切なハガキ2枚と出そうとしたら、玄関に置いていた2枚が見当たらない。

 かみさんは、図書館へ行くと言って出て行ったのでまさか、投函するのに持って出るなんて、そんな気の利いたことをするとは思えない。ただ、図書館以外の言葉もいったかもしれないが、こちらは、アンケートのハガキに記入することに集中していたので定かでない。

 いつもボケているのでないかと自分を信じられないところがあるので心配が膨らむ。

 ハガキが見当たらないので、もしかしたら、新聞の中などに紛れ込んだのでないかと、あたふたする。

 このような私の様子を見た、貞お母さんさんは、足元がふらつく中、自分の周りを探し回ってくれた。2人が必死になり探すが見つからない。もしかしたら、かみさんが持って出かけてくれたのでないかと微かな期待を確かめようと携帯を鳴らすと、なんと、家にあるバッグの中で着信音。もう手を尽くしたので、神隠しにあったと思わざるを得ない。

 もし最終的に見つからなければ、全て出したハガキは、写メしてあるので、今回も、それを見ながら再度書き写せばいいと腹をくくる。そう思いながらかみさんを待っていた。貞さんにも「もしかしたら範子が出してくれたかもしれんし。帰るのを待っとろ。本当に探すのを手伝ってくれてあんやと!」と労う。30分過ぎても1時間過ぎても帰ってこない。やっと約1時間半後に帰ってきたかみさんに尋ねると何と「出してくるからと言うたがいね!しっかり聞いとらんさかいやない。今世紀最大の親切やったのに」と呑気な言葉。

 私が自分のボケを気にかけるよりまずかみさんとしっかりコミュニケーションが取れてない事が今回の教訓。聞いているようで聞いていなく、話を伝えたようで伝わらない私たち夫婦。まだまだ、先が長い。ただ、しっかりハガキ2枚は投函されたことがわかりホッとして胸を撫で下ろした。