私が思う老化と年を重ねることの違い。

 (ばあちゃんタマケさん、かあちゃん照子、私、かみさん。笑顔😸)

小さいころ私は、近所のおじいさん、おばあさんが遊びによってよもやま話をするのを聞くのが大好きだった。
特にばあちゃんっ子だったので、あのような腰の曲がった、耳の遠い年寄りになる事は、想像できなかった。
 きっと、年寄りにはならずずっと、小さいまま、また、耳もはっきり聞こえ、眼も眼鏡かけずすっきり見えると思い込んでいた。
しかし、現実は、厳しい。
 最近では、家の階段、会社の階段を昇り降りするときに心の中で、(来年は、このようにできるかな?)と心配することもある。
眼は、昨年末、白内障の手術をして、これまで見えなかった美人のシミしわまでが見えてしまい、夢のある想像世界から一気に現実に
引き戻される厳しさにさらされている。
 悪いことばかりでなく、9月の今、若いころは、暑さ寒さも彼岸までと、暑い夏を乗り切り秋に向けて涼しい季節になるのが、楽しみだったが、今では、セミの鳴き声と、秋の虫のすがすがしさが混じって聞こえるのを楽しむことができるようになっている。
 また、毎朝、うがいをするとき長く、ゴロゴロと音を立てて、歌を歌いながらする工夫。
息が長く続くことにうれしさを感じ、夜寝る前にひげをそる時、少し伸びていたのが指の先に感じるとき生きていることを感じる。
 体力が減少するとか、今までスイスイできたことが、おぼつかなくなったりするが、これは、単なる老化。
それに比べ今まで思いもよらなかったことに思い至るのは、年を重ねたからだと思う。
 最近は、秋の虫が盛んにいい音色でないているのを聞くと、虫たちも一生懸命短い命を生きているのだと感心する。どんなことを言っているのかわかれば大変愉快だろうと思う。
私もあれほど心を込めて、生きているだろうか?と思うと虫たちに見習うことが多い。